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東京高等裁判所 昭和41年(う)981号 判決

被告人 梅田道之

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

但し、この裁判確定の日から四年間、右刑の執行を猶予する。

原審および当審における訴訟費用は、全部、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人平野一郎作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する検察官の答弁は、検事塚谷悟作成の答弁書二通各記載のとおりであるから、それぞれこれを引用し、右控訴趣意に対し、当裁判所は次のように判断する。

控訴趣意第一点について

所論は、原判示第二につき、本件抵当権設定登記申請の当時、その被担保債権である消費貸借ないし準消費貸借による債務は、成立しておらず、右抵当権の被担保債権とされている、三〇〇万円の金銭消費貸借契約なるものは、当事者間の話合いによる虚偽仮装のもので、被告人は、抵当権者とされている輿石博から、いつでも抵当権の抹消ができるようにとの趣旨のもとに所要の委任状を受け取つていたのであるから、その話合いのとおり右委任状を用いて、被告人が本件抵当権設定登記の抹消登記手続をしたことは当然であるのに、原判決が、被告人において輿石博の委任状を偽造行使して真正に成立していた抵当権の抹消登記手続をしたものと認め、これを私文書偽造、同行使、公正証書原本不実記載等の各罪に問擬処断したのは、事実を誤認したものであると主張する。

よつて、訴訟記録および原裁判所において取調べた証拠、ならびに当審における事実取調の結果を含めて検討するに、被告人が代表者となつている株式会社洋々社は、かねてより取引のあつた統計印刷工業株式会社に支払うべき印刷代金を手形により決済してきていたが、他方、会社の運転資金を得るために、右統計印刷工業宛てに約束手形を振出し、統計印刷工業の割引融資をうけたり、あるいは、同社の実権を握つていた輿石博の個人裏書により東京出版信用組合又は帝都信用金庫においてこれら手形の割引をうけ、その割引金を右輿石から融資してもらつていたが、これらの手形のうち、昭和三二年三月一六日満期の額面三〇万円の約束手形(その写しは記録三冊二〇六丁)が不渡りとなり輿石がこれを買戻したというような事実が発生した後、洋々社振出の他の別口手形が同年九月二六日、一〇月一日それぞれ不渡りとなり、同年一〇月五日同社は取引停止処分をうけ、その取引銀行の当座勘定もついで同月七日強制解約されるという事態となつたため、右取引停止ないし強制解約後に支払期日の到来する洋々社振出しの各手形もすべて不渡りとなることが明らかとなつたので、いずれ、最終裏書人として買戻しをしなければならなくなる立場にあつた輿石博は、昭和三二年一〇月一〇日頃、その実兄英則および社員実兼祝とともに洋々社に赴き、かねて昭和三一年五月八日付で、洋々社が同日現在および将来、統計印刷工業に対して負担する手形債務について被告人個人としてもこれを保証し連帯支払の責に任ずべきことが約定されていたので、この約旨にしたがい、被告人に対し、当時すでに不渡りにより輿石博において買戻しをし、また、将来、買戻しの必要が確定的となつていた、洋々社振出しの統計印刷工業宛ての本件約束手形一〇通、額面合計三一〇万円(各手形の写しは記録三冊一九七丁~二〇六丁)のうち三〇〇万円につき被告人個人としてその支払の責に任ずべきこと、および右債務の担保として、被告人個人所有の本件不動産に抵当権を設定すべきことを申し入れた結果、被告人もこれを承諾したので、ここに、被告人を債務者とし、輿石博を債権者とする本件三〇〇万円の、前記一〇通の約束手形上の請求権を目的とする、準消費貸借契約およびこの債務の担保としての抵当権設定契約が成立し、その頃、司法書士藤本武助方において、輿石博の代理人実兼祝および被告人の両名が、同司法書士に右約旨による抵当権設定登記手続を依頼し、その際、登記手続上の必要から同司法書士に金円借用証書をも作成してもらつたうえ、昭和三二年一〇月一二日、本件抵当権設定登記手続がなされた経緯を認めることができる。

本件抵当権の被担保債権は、現存する債権および将来成立すべき債権の双方を含みながら、すべて現存する貸金債権として表示されたうえ、これにつき抵当権設定登記がなされたものと見られるわけであるが、将来発生することが確実とみられる債権を担保するための抵当権設定行為が有効であることは、判例、学説ともに多く異論を見ないところであり、またかかる抵当権であつても当事者が真実、これを登記する意思で登記手続を終えた以上、当該登記を無効のものと解すべきものでもないから(昭和三三年五月九日最高裁判所第二小法廷判決、集一二巻七号九八九頁以下参照)、所論のように、本件抵当権の設定行為ないしその登記を無効視することは、当を得たものとは考えられない。

所論は、そもそも本件抵当権およびその被担保債権は、当事者間の通謀による、虚偽仮装のもので、被告人が右抵当権抹消登記手続に使用した、輿石博の委任状は、いつでも抵当権を抹消できるように、当時あらかじめ輿石から交付されていたものである、というけれども、原審証人藤本武助の証言ならびに記録中の当該委任状の写真(三冊二〇九丁)によれば、いつでも使えるようにと渡されたという委任状に、あらかじめ「昭和参拾弐年拾月」と年および月が記入されており、しかも、それは訴訟委任状の書式のものであること、ならびに被告人は、本件抵当権抹消登記手続を司法書士藤本武助に依頼するに際し、手紙で、右委任状の日付を一五日と補充することや書式を適宜修正して使用すべきことを指示している事実が認められるのであるが、理論としては、訴訟委任状の形式を修正して訴訟以外のことに使用できる筋合いであるとしても、弁護士でもない輿石博らが、登記手続に使用することを知りながらわざわざ訴訟委任状を被告人に手渡すということは、いささか不自然であり、また、異例のことのように思われるのであつて、「被告人が東京手形市場株式会社から訴訟を起こされそうなので必要だから権利証と訴訟委任状をくれというので渡した」「裁判に使うというので渡した」と証言する輿石博らが、何の訴訟で何という弁護士に委任することになるのか確かめることなく、被告人に訴訟委任状を渡したことが、いささか軽率であるとしても、それは同人らが被告人と永年の取引関係にあり、かつて、特に不信にわたるような事跡もなかつたため被告人を信頼し、深くも尋ねなかつたものと認める余地があるのに比し、前述の、登記関係用であることがわかつていて、弁護士でもない輿石らが、訴訟委任状を渡した(弁護士である当審証人岩切三市の証言によれば、統計印刷工業の実兼が、本件抵当権設定の頃、訴訟委任状を一枚くれといつて同弁護士方を訪ねていることが認められる)ということは、いかにも不自然であつて、納得しがたいところであり、更に、被告人と東京手形市場株式会社との間の請求異議の訴訟は、昭和三四年一月一二日に被告人の訴の取下げにより終局していることが認められるのに(記録三冊一〇五丁)その後七か月も経過した同年八月一九日付をもつて「権利証は訴訟終了まで御預りする」旨の預り証を作成したり、また、被告人が原審公判廷において、「権利証は輿石から借りたのではなく、私が始めから持つていた」(同一七八丁裏)、「借りたことはない」(同一七九丁裏)などと、いかにも、本件抵当権設定が仮装なものであるから、登記済みの権利証は、始めから自分の方で持つていたという意味の供述をしているのに、前記のような「御預りする」という内容の預り証を作成交付していることは理解し難い。この点につき、被告人は、「輿石の方で税務署に見せる必要があるというので、先方の要求どおりの内容の預り証を書いてやつた」旨(同一八五丁表および裏)を原審で述べているけれども、それならば、一時その権利証を輿石の手に戻しておけば足りるわけであつて、わざわざ預り証を書くなどというまぎらわしい策を弄する必要もないと思われるし、また、本件一〇通の約束手形は、別途民事々件で裁判上の和解が成立した昭和三九年一〇月頃までは、少くとも、輿石博と被告人又は振出人たる株式会社洋々社との関係では決済されることなく、右輿石の手中にあつたものであること、そして右にもふれたように、記録中の民事第一審判決書謄本(三冊一二七丁)および同第二審第一一回口頭弁論調書謄本(同一四八丁)によれば、被告人は、本件約束手形一〇通を含む債務につきその支払義務あることを認め、分割支払などの条項により裁判上の和解をしていることが認められることなどのほか、本件手形振出等をめぐる前叙のような一切の経緯を総合して考えると、本件抵当権およびその被担保債権が所論のような虚偽仮装のものであつたとは思われない。

原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、原判示第二の事実は犯意の点をも含め、優にこれを肯認するに足り、当審における事実取調の結果をも加えて仔細に検討しても、原判決に所論のような事実誤認の廉があるものとは認められないから論旨は理由がない。

控訴趣意第二点について

所論は、原判示第一につき、被告人が本件パンフレツトをもつて公表した各事実は、関係各証拠により、いずれもその真実であることの証明がなされたものであるのに、原判決は、いずれもその証明がないものと判断したほか、仮に被告人が右公表に係る各事実をすべて事実であると信じたとしても、被告人がそのように信じたということは、社会人の健全な常識に照らして考えると甚だ軽率な行為であつて、被告人がかく信ずるにつき、これを相当とするに足る客観的な状況は、証拠上、これを認めがたい旨の判断を示したが、原判決の右判断は、事実を誤認したか法令の解釈適用を誤つたものであり、右違法が判決に影響を及ぼすべきことは明らかである、と主張する。

よつて所論に鑑み、原裁判所において取調べた関係各証拠ならびに当審における事実取調の結果に基いて検討すると、所論各公表事実が真実であることの証明は得られなかつたものといわざるを得ない。すなわち、勝田第二助役選任問題は、結局、当時、年間一〇〇万円もの市費をもつて第二助役を置く必要はないという論議が、銚子市議会総務委員会でなされたことがあるとの消息が認められるだけで、論功行賞的人事であるということについては、単に巷間の噂さないし嶋田市長と対立する一部市会議員の右人事に対する反情的な批判あるいは一部報道陣などの間で交わされていた臆測的な風聞が存在していたにすぎず、原審証人椎名隆の、市議会内部における、勝田助役人事に反対する者としての、一〇名の氏名をあげてなされた証言も、現にその名をあげられている当の宇佐美清治、青柳敏治らが原審第七回あるいは同第一三回公判において、これを否定し又は第二助役選任のいきさつは知らない旨(一冊四九〇丁裏、二冊八二三丁裏)の証言をしていることなどに照らせば、事の真相を明らかにするものとしてたやすくこれを採用しがたいものがあり、また、昭和二六年四月施行の銚子市長選挙の件についても、正田岩吉が原告となり嶋田隆を被告として東京高等裁判所に対し選挙費用の制限超過を理由とする当選無効確認の訴訟が提起され、その後、この訴は取下げによつて終局したことは認められるとしても、そのこと自体によつて公表事実のような多額の金員がバラまかれたことの証明がされたことになるわけでもなく、嶋田派で、当時同時に行われていた市議会議員選挙に立候補している者には陣中見舞と称して多額の金員を贈つた、という点についても、原審証人加瀬要治が「陣中見舞として祝袋に入つた五千円をもらつたが、嶋田隆と書いてあり同人の近親者が持つてきたものと思う。外にももらつた人がいるかどうかはきいていない」(一冊五六七丁裏~五六九丁表)と述べているだけで、右選挙に同様立候補した宇佐美清治、加瀬亀次、青柳敏治らはいずれも、嶋田から陣中見舞をもらつたことはない旨(五〇一丁、五一七丁、八二二丁)を証言しているのであり、他に右公表事実を真実と認むべき証左はない。次に昭和三三年五月施行の衆議院議員選挙に関する件についても、堀内幾三郎候補が、嶋田市長やその側近者らと謀議をこらし、同市長側近者らによつて相当額の金員を巻きあげられたという事実も、結局のところ、原審証人椎名隆、同左近正八の他からの風聞等にもとづく臆測にすぎないもので、到底右事実が真実であることの証明があつたとはいえず、また、次に、昭和三五年一一月の総選挙をめぐる、嶋田市長外遊の際の五〇万円の餞別問題についても、なるほど、公表事実によれば「人の噂さであるから真偽は別として、五〇万円もの餞別を嶋田市長に贈つたとか言われ・・・・」という表現になつているけれども、名誉毀損罪において事実の摘示が要件とされる理由は、一定の具体的事実の存在を他人に印象づけることが当該本人の人格的価値の社会による承認ないし評価の低下を来さしめるというところにあるのであるから、その事実は、摘示者が自ら体験したものとして主張されようと、他から伝聞したものとして示されるとを問わないのであつて、「かくかくの風評がある」といつた場合でも、それは風評の存在をひとつの事実としてのべたにすぎないものとみるべきではなく、その風評の内容をなすところの事実が摘示されたものというべきであつて、このばあい、「人の噂であるから真偽は別として」というような表示が挿入されていても異るところはないのである。まして、被告人の言うがごとく、嶋田市長の反省を促すとともに、市民に対し、市政の正しい批判の目をさまさせるために本件のような所為に及んだというのであれば、なおのこと、かような公共の利害に関する目的のための事実の公表は、風評そのものの存在の発表では意味がなく、その内容たる事実を真実であるとして市民に知らせるというのでなければ、少くとも被告人の意図として筋が通らないように思われるのである。したがつて、この餞別の件についても、風評そのものの存在が問題なのではなくして、その風評の内容たる事実そのものの真否が問題となるわけであるが、結局のところ、これまた根拠のない伝聞と、これにもとずく臆測外になんらの資料もなく、真実であることの証明があつたものとは到底いえないのである。更に、次に、内蔵所有地の問題についてであるが、関係各証拠を仔細に検討し、かつ、これを総合すれば、県立銚子水産高校の校長、銚子市教育委員会等においては、同校の移転先として内蔵徳平の所有地を第一候補に上げ、同委員会委員長内田正雄を通じて地主と交渉していたが、市当局としては同土地は稍々狭いという意向であり、結局、県の意向により、旧横浜ヨツト跡の土地が適当であるとしてこれに決定されるに至つたこと、その後、内蔵側から前記候補地を買取つてくれるよう市当局に要請があり、嶋田市長としても、内蔵の土地が一応、候補地としてあげられながら、相当期間放置される結果となつたことに一半の道義的責任を感じ、前記内田正雄や寺井耕一、沢田武次らと共同して金八〇〇万円でこれを譲り受けることとなり、その後、石浜保治に他への転売処分方を依頼し、石浜は、内田正雄から同様依頼されていた白土進らと共に、同土地を他に分譲売却し、結局、一人あたり約四〇万円の利益があつたという事実は認められるけれども、公表事実のように、嶋田市長らが、当初からもつぱら金銭的利益を収める意図のもとに、内蔵所有の土地をだますようにして安く買い取り、これを高価に転売して一人当り一七〇万円位の差益金を山分けしたという事実までを推認することは困難である。なるほど、嶋田や内田らが右の土地売買につき、自らの名義を表面に出すことをさけ、酒井豊太郎、鈴木孝子の名義を用いているのは、公務員とくに市長としての身分上、不明朗のそしりを招く余地もあるようであるが、前叙のような全般の経緯を総合的に観察すれば、「私としては、実際は他人に買い取つてもらいたいと思つていたのですが、その方に断られてしまつたので、仕方なく道義的責任から買つてやつたのです。そういうわけで、こういう問題には携わりたくないという気持でいつぱいだつたのです。買つたの売つたのなどということはやりたくなかつたので、他人の名義に変えたいという気持でした。わずらわしいので自分の名前を出したくなく、判を押したりなど手続が面倒だつたという以外に、別に名前を出して具合の悪いことはなかつた。」「石浜に委せた条件は、元利金を払つてくれたらそれでいい。それ以外はいかに儲けようとも貴方の収入にしてもよいという条件だつた。」(二冊一〇八一丁裏~一〇八二丁裏、一〇八四丁)という原審証人嶋田隆の証言や、「嶋田から名前を貸してくれと電話があり、石浜保治が来て、会計事務が楽だから登記の名前を貸してくれといつてきた」(二冊九四六丁表裏)という原審証人鈴木孝子の証言、ならびに、「石浜が、財産のある者では税金がかかるからという話をしたように記憶しているが、判を貸してくれというので貸した」(二冊九五〇丁)という酒井豊太郎の証言等をも併せ考慮することにより、嶋田が利権獲得の目的で本件土地に目をつけ、自らの不正を秘匿しつつ公表事実のように暴利を貪つたものとみるのは速断にすぎるものといわなければならず、また、原審証人柴元治も、結局は、嶋田がはじめから儲けようとしていたわけではない旨(一冊六九三丁裏)を証言していることなど、諸般の経緯をあれこれ勘案すれば、この件についての公表事実についても、また、真実の証明があつたものということはできない。最後に、佐ノ原台の利権問題であるが、これについての公表事実に符合するような供述をしている原審証人椎名隆も、結局は、石浜保治から伝え聞いたもので「本当か嘘かは知らない」(二冊七六七丁)というのであつて、その他の関係証拠、とくに原審証人磯貝里春の証言(二冊八九六丁以下)も、石浜保治らからきいたというのであり、また、地主の一人であり磯貝証人の取材源になつたという原審証人星野重行(二冊九五七丁以下)の証言も、市営住宅を建て護岸工事もするという話で土地を手放したが、市の具体的計画ははつきりとはわからない、というのであつて、公表事実の存在を推認すべき資料としては不十分であるというべく、却つて嶋田隆の原審証言(一冊四四四丁裏~四四七丁表、二冊一〇八五丁裏~一〇九七丁裏、一一一〇丁表~一一一一丁表、一一三〇丁表~一一三一丁表)によれば、佐ノ原台地区の海蝕防護措置を政府に申請するため公有地とする必要があり、かつ、将来の市営住宅地として確保しようとして買収したもので、担当の常任委員会の内諾を得て市長の専決処分として買収し、後に、議会の承認を得ていること、その後同地区に青年研修所の建設が進められ、市営住宅等の建設計画も進められていること、また、右土地買収当時、市の庁舎を銚子商業高校が移転した跡に建設するなどという計画は全く無かつたこと、まして、銚子商業高校移転跡地の半分を市庁舎用地として使用し、残地を一般に分譲するなどという計画もなかつたことが認められ、また、当時、銚子市農産課長であつた島田常信も、原審公判廷において右にそう内容の証言(二冊七八二丁以下)をしているのであつて、これを要するに、この事実についても公表事実の真実性につき証明は得られなかつたものというほかはない。

以上のように、原判示第一摘示の各公表事実については、結局、いずれもその真実であることの証明がなかつたことに帰着するのである。ところで所論は、本件公表事実の真実性の証明は、違法阻却事由であるから、その証明については刑事訴訟法所定の証拠に関する制限は排除されて然るべきものであり、しかるときは、本件公表事実は、すべて真実の証明があつたものというべく、原判決はこの意味においても判断を誤つているというけれども、名誉毀損罪における事実証明の要件および効果を規定した刑法第二三〇条の二の規定は、真実の事実を摘示しても名誉毀損罪として処罰されなければならない同法第二三〇条の規定を修正し、真実の事実をもつてなされる正当な批判の自由を保障しようとしたものであるから、不確実な噂や、風聞ないし臆測を公表することは、そのこと自体、すでに法の保護の範囲を逸脱するものといわなければならない。かかる法意に鑑み、かつ、真実性の立証責任が被告人側にあることを合わせ考えると、この場合における真実性の証明は-それが厳格な証明を要するか又は自由な証明で足るかは別として-すくなくとも裁判所にその事実の重要な点についての真実性を納得せしめるに足るだけの心証を得させるものでなければならないのであつて、疏明の程度で十分であると解すべき理由はない。

次に所論は、仮に本件公表事実の真実性が証明されなかつたとするも、被告人がその各事実を真実であると信じ、かつ、そう信じたことが、健全な社会常識に照らし相当として認容される客観的な事情があつたから、被告人は無罪であると主張する。しかしながら、被告人は、本件パンフレツトによる公表事実のほとんどすべてを身近かの者の提供した推断的な断片的資料や単なる巷間の風聞によつて得たところのものに自己の推断ないし臆測を加味して発表したのであつて、事の真否を確かめるため一民間人としての被告人に期待しうる程度の十分な調査活動を尽し、これによつて事実の証明可能な程度の資料、根拠を収集したものとは認められないから、被告人が原判決摘示の事実を真実であると信じていたとしても、かく信ずるにつき未だ相当の理由を有していたとはいえず、したがつて、名誉毀損の罪責を免れることはできないものといわなければならない。これと趣旨を同じくする原判決には、事実誤認ないし法令の解釈適用を誤つた違法はなく、論旨は理由がない(なお、原判決は、起訴状に明示されていない、嶋田の昭和二六年四月の市長選挙の選挙運動状況に関する、いわゆる「三せる戦法」の事実をも認定判示しているけれども、これは、起訴状の公訴事実一四行目に、「・・・・多額の金円を贈る等違反行為をした」とあるのを、取調済みのパンフレツトの記載事実に基き、その「違反行為」なるものの具体的内容の一班を表現したまでのものであつて、敢て訴因を逸脱して、被告人に防禦の機会を与えることなく不意打ちに別個の事実を認定したものとまでは考えられない。)。

控訴趣意第三点について

所論は、本件につき被告人を懲役一年六月の実刑に処した原判決の量刑は、罪質、情状に照らし、重きに失して不当であると主張する。

よつて検討するに、本件のうち名誉毀損の犯行は、すでに見たように、軽率のそしりを免れない行為であり、嶋田隆の名誉を侵害した程度も、その摘示事実の内容およびパンフレツトの頒布部数等からみて、決してこれを軽視することはできないところであり、たとえ、被告人が、地方自治における首長の四選というような事態を心底より好ましくないものと考え、市政を刷新して市政界に新風を送ることの必要を痛感したとしても、衆議院議員池田正之輔らの十分な了解をも得ていないのに同人ら名義の序文を掲載してパンフレツトの権威付けを試み、しかも真実性の裏付けの十分でない誹謗的な事実を記載したパンフレツトを、昭和三七年七月二一日施行の銚子市長選挙の約三か月前ないし一か月前くらいまでの時点において、多数頒布したことは、被告人自らも右選挙に立候補していたこととも併せ考えそこに、いささか、自らの選挙運動を有利ならしめようとの不純な動機も存在していたのではあるまいか、という見方をされてもやむを得ないものがあるようにも思われるのであつて、総じて、強い非難をうけてもやむを得ないものがある。また、私文書偽造等の犯行も、公正証書原本に対する公的信頼性を毀損し、ながらく融資をうけてきた輿石らの信頼を裏切つた一面のあることは否めず、ひいては、一般信用経済における取引の安全を害したものであるといつても過言ではない。原判決が被告人に対し実刑をもつて臨んだ趣旨も、これらの考慮に基くものと思われる。

しかしなお考えてみると、私文書偽造等の犯行については、既に前述したように、裁判上の和解も成立し、当審証人岩切三市の証言によれば、その履行も滞りなく進捗していることが認められるのであり、また名誉毀損の点についても、結局は、有識者の反感を買つて所期の目的を達するに至らず、嶋田隆は、ともかく五選の結果を得ているのである。このように見てくると、被告人がいかに首長多選の弊を痛感し、政界浄化を志向したからといつて、その執つた手段が妥当を欠くものである以上、結局は、有識者らの同調を得られないばかりか、かえつて自らが審きの場に立たされることになるのである。もとより当裁判所は、市長五選の是非等を云々するものではない。ただ、被告人が、所論のように、いわゆる慨世の士であるとするならば、本件のような姑息軽率な手段を弄することは、たとえ市民の覚醒を促すという大義名分を掲げ、また、言論の自由という大原則を云々するとしても、畢竟、それは相手の人権を不当に侵害し、害あつて益なき所以を十分に悟つた筈であるというのである。このような諸点をあれこれ勘案し、そのほか、本件が必ずしも被告人の私利私欲のみに出たものとは考えられないことや、また、被告人の年令、経歴、職業、従前の社会的功績など記録に顕われた諸般の事情を総合して考えると、本件各犯行を厳しく指弾して被告人の反省を求める必要のあることはもとよりとしても、なお、今回にかぎり、その刑の執行を猶予し、軽率に他人の非行を云々する前に何よりもまず自己の姿勢を正し、正々堂々たる言論を通じて明朗な生活浄化を計る方途を把握させ、これを通じて贖罪と更生の機縁を与えることが、本件の具体的処理として、刑政上当を得たものと思われる。この意味において、原判決の量刑は重きに失し、論旨は理由がある。原判決は破棄を免れない。

よつて刑事訴訟法第三九七条、第三八一条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書にしたがつて当審で自判することとし、原判決が証拠により確定した犯罪事実に、原判決挙示の各法条のほか刑法第二五条第一項第一号を適用し、なお、原審および当審における訴訟費用につき刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 樋口勝 小川泉 金末和雄)

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